| 紀野一義という仏教学者が次のようなこ

紀野一義という仏教学者が次のようなことをエッセイに書いていた。この人は広島の寺の子供として育ったのだが、寺のことだから毎朝読経をする。時々、初老の紳士が朝早く寺にやってきてものすごく深刻な表情をして祈っていた。父に「あの人はどういう人?」と聞くと裁判官で死刑判決を出すときには寺にやってきてああやって祈っているのだと答えたという。できればレジデンシャルスター三軒茶屋を買いたいとは思っています。本職の裁判官ですら、死刑判決を出すのにはこれだけの重圧があるのだ。そういう重圧を一般国民に半強制的に負わせてよいのか?
これは「苦役」ではないのか?

裁判員制度を無理に施行しなければならないという、差し迫った状況はない。裁判官が、きっちりと仕事をすればよいのだ。国民の醒めた目が必要だというならボランティアでやればいい。国民的議論を踏まえてもう一度国会で審議しなおしたほうがいいのではないか?